週末はまた3時間超の長電話でした。
あっという間にまた1週間が過ぎたと言っていました。宿題の質も高くなり、量も多くなって、ついていくのが大変だそうです。
宿題が出ると、みんな多すぎると文句を言うらしいのですが、先生からは、大学に行くとこんなもんじゃないと言われるそうです。
先週には、以前知り合った友人と会って、食事に行ったり、バスで近くの湖に遊びに行ったりしたそうです。たっぷりおしゃべりをしたと言っていました。
先々週、銀行で、オンラインの取引額を変えることを依頼し、少し時間がかかると言われたらしいのですが、1週間経っても変わらなかったので、再度行ったら、担当者の他に上司らしき人が出てきて、担当者と相談しながらやっと手続が完了したそうです。
エージェントに行ったとき、その話をしたら、そんなものだ、日本と同じようなサービスを求めることはできないと言われたそうです。
交渉事は苦手だと言っていましたが、こうしたトラブルへの対処もなんとか一人でやっていることに、また一つ娘の成長を感じます。
どうしてそんな話になったか、中学生の頃、娘が学校にどんな思いを抱いていたかという話になりました。
小学校からほぼ同じメンバーが中学校に行くような地区で、小学校の人間関係や力関係がそのまま持ち込まれていることに抵抗があったそうです。
例えば運動会の参加競技を決めるとき、同じ競技に希望者が多くて、なかなか決まらなかったら、自分がゆずることが多かったそうです。そんなことを続けていると、優しい人、というイメージが定着したらしいのですが、いつまでも決まらないのが面倒だからやっただけで、優しい人と言われるのには違和感があったようです。
教師に対する生徒の評価も、叱られたからと言った単純な理由で、その人の人格をあれこれおとしめ、みんながそれに同調するといったことが多く、それにも納得できなかったようです。
今の学校でも、生徒の教師に対する評価はそれなりに厳しいようですが、それなりの理由があっての評価なので、納得できると言っていました。生徒の多くは大学を終えたくらいの年齢で、さすがに中学生の評価とは違っているようです。
こうした人間関係上のストレスが、かつての不登校の要因になっていたと、自分でも感じているようです。
年齢を重ねて、自分自身のことをだいぶ冷静に見つめることができるようになり、それを客観的に話せていると思いました。こういう見方ができるようになれば、もう後戻りはしないのかもしれません。