2024年5月16日木曜日

友人宅へ

娘は、今日は外出し、カフェに行った後、今日が休みだった友人と街に出かけ、さらにそのアパートに行ったそうです。

妊娠中の友人は、すぐに気分が悪くなったり、気が変わったりしていたようです。自宅では料理をするつもりでいたのが、すぐその気が失せて、まともな食事ができなくなりそうだったので、娘が代わりに料理をしたとのことでした。

出かけていたので元気になったのかと思いきや、夕食後はあまり元気ではなくて、風呂に入るのが遅れました。将来のことについて、先日も言っていましたが、通信制の大学に行くとか、スキルアップのための講習を受けたいといったようなことを言うので、私はもうお金を出さないこと、これから働いて十分な学費を稼ぐというのは、目標として高すぎる(遠すぎる)と思うと伝えました。

仕事が得られるかどうかについて、障害者雇用のところも含めて、どのような職場でもいろいろな問題があり、理想とはほど遠いもので、それを妥協して続けられるかどうかが一番の課題ではないかと言ったら、仕事が続かなかったのは、要するに自分が悪いと言われているような気がすると言ってきました。

悪いというのではないが、職場が悪いとどんなに言ったところで、職場が変わるわけではないと返しましたが、必ずしも納得した風ではありませんでした。

ともあれ、慌てず少しずつ仕事に復帰していくことが当面の目標だろうということで、一応娘と私の意見の一致を見ました。

2024年5月15日水曜日

今日も出かけず

娘から、昼頃に、熱があるから外には出ないという連絡が来ました。その頃は、熱は下がって、7度2分だったそうです。

何かあると、その反応として熱が出てしまいます。

昼間は、今日もずっと寝ていたようで、 夜になって寝付けないと感じているようです。あれ以来、娘は自室で寝るのをやめて、居間で寝ています。自室では気分が落ち込むようです。私も、就寝までは居間にいて、今日は娘が就寝前にいらついているのが分かります。

娘は、知人などから、まだ若いから焦らなくてよいと言われるのが納得できないと言います。言っている方は、何とか娘を慰めたくて若いからと言っているだけで、何か根拠があって言っている訳ではないと思います。その言葉に引っかかってしまうのは、病気のせいなのかもしれませんが、そう言ってみたところで、何かが変わるわけではありません。

2024年5月14日火曜日

出かけず

あれから2週間が経ちました。とても長く感じられて、でも、過ぎてみるとあっという間でした。

娘は、今日も終日家で寝て過ごしたようです。昨日は出て行くつもりだったのですが、どうして行かなかったのかは聞きませんでした。食欲は昨日ほどはありませんでした。

昼には、冷凍庫にあった焼き鳥を食べていましたが、パックのままレンジにかけていました。そんなことが分からない訳ではないでしょうに、でも、面倒なときにはそういうことになってしまいます。

明日は、あるホテルの職場見学に行くそうです。採用云々ではなく、あくまでも見学ということで、行っていいことにしました。

と、書いてアップした後、娘宛の銀行のクレジット明細書を開かせたら、1月と2月に、10回払いでの支出があったことが分かりました。本人もそれは見たくなかったようですが、現実は容赦がありません。他にはもうないのかと聞くと、ないと言っていますが、これまでの経緯もあるので、鵜呑みにはできません。もちろん、ないことを願っていますが。

これで明日の外出も怪しくなりました。

2024年5月13日月曜日

和解

娘は、今日も一日寝て過ごしたようです。昼間は、薬を飲んでも気分が良くならないので、とても出かける気にはなれないと言っていました。

冷蔵庫にホワイトボードを貼っているのですが、夕方私が帰宅すると、そこに大きく「オリーブ・ワイン」と書かれていました。前から、塩漬けのオリーブを肴にワインを飲みたいと言っていたので、意味はすぐに分かりました。

料理に使っている安いワインしかありませんでしたが、夕食のときに出したら、娘は、少しなめただけで、身体が受け付けないと感じたらしく、それ以上は飲みませんでした。私と一緒に何かしたかったと言っていたので、昨日のことに対して、和解の儀式を執り行いたかったのだろうと思います。

昼食は、いつになくよく食べていたようでした。

夕食の頃には、機嫌はかなり良くなっていて、明日は出かけるつもりだと言っていました。

2024年5月12日日曜日

ボランティア

娘は、今日は、朝から雨がひどかったので、寝て過ごす予定のようでしたが、10時頃になって少しだけ雨脚が弱まり、出て行く気になりました。

家から出てすぐ、今日は近所の子ども食堂のイベントの日だということを思い出したようで、それに行くことにしたという連絡が入りました。以前から参加することにしていたのですが、入院したときにいったん断っていたものです。それから午後2時まで、結構忙しかったようです。

その後も雨がやまず、私は、娘を拾ってから買い物に行きました。

夕方、クレジットカードの請求のメールが来ていたので、中味を確認したら、娘がスマホの決済アプリに何度もチャージしていたことが分かりました。一度カード情報を登録したら、そのままチャージできる仕組みなのでした。

先月、高額の使い込みが発覚した後のできごとです。娘は疲れて寝ていましたが、起こしてまた買い物に行き、チャージ分を使い切って、アプリは削除させました。

財布もいったん預かりましたが、娘が嫌がるので、小銭と千円札を1枚だけ残して返しました。

あまり圧力を掛けるのもどうかと思いますが、これが繰り返されると、私の方が本当にまいってしまいそうです。面倒ですが、隙を作らないようにしなければなりません。

2024年5月11日土曜日

不調

娘は、今日は友人と会う予定だったのですが、朝から調子が悪くてキャンセルしたそうです。私は外に出ていて、連絡をすると、昼頃まではひどい声を出していました。

入院した病院で、2週間分の薬を出してもらっていて、その後は、またかかりつけのクリニックに行かなければならないのですが、娘は、入院前に決まっていた次の診察日で間に合うと言っていました。

入院するときに、診察予定はリセットされたかもしれませんし、その日付は、月の変わるあたりで、薬が切れるのに間に合わないのではないかと思ったので、娘にはしつこく確認するように言っていました。でも、結局今日まで確認しておらず、再度強く確認を促しました。電話したら、次の診察日は3週間以上先で、薬がなくなるころまた連絡するように言われたそうです。

終日寝ていたようですが、夕方には割合元気になっており、食事も食べました。

2024年5月10日金曜日

また失敗

やる前に、やめとけと言おうと思わないではなかったのです。家庭教師の会社の、オンラインでの仕事の説明会に参加すると娘が言うので、とりあえず説明を聞くだけなら大丈夫かと思ったのでした。ところが、参加してみると、オンラインでの仕事は4年制大学卒に限られるということだったそうです。これでまた、娘はダメージを受けてしまいました。

夕食は結構食べていて、説明会はその後だったのでよかったのですが、その結果、風呂には入らずじまいでした。気分転換のためにも入った方がいいのではないかと勧めてみましたが、だめでした。こういうささいなことで、今度は私の方がいらだってしまいます。娘に、私の体力や忍耐力、そして財布の中身にも限界があると伝えました。

娘からは、忍耐の限界を超えそうなときは、事前に教えてくれと言われましたが、そういう風に言われると、さらにいら立ちがましてしまうのでした。

家庭教師の仕事に大卒の条件があるなんてことは知らなかったと娘は言います。でも、これだけ繰り返し同じような失敗があると、娘が単に条件を見落としていただけだったのではないかと思ってしまいます。自分に都合のいいところだけ読んで判断していたということも、大いにありそうです。

明日は、友人と会うということなので、たぶん何とかなるでしょう。

2024年5月9日木曜日

ごろごろして過ごす

昨日、娘と、これからしばらくは、何もせずにごろごろして過ごすことを目標としようと話しました。今日は、目標通り、一日中ごろごろしていたようです。

親友の仕事がたまたま休みだったらしく、1時間ほど電話で話したが、疲れたので自分から電話を切ったそうです。自分のエネルギーが減っていると自覚したようで、来週くらいまでは復活しないかもしれないと言っていました。やはり、何もしないというのがいいようです。

その友人は、急に結婚することになったことについて、特に名前が変わることに抵抗があるようだったと娘は感じたそうです。それに対して、世間では夫婦別姓の問題も認識されてきたし、職場での通称は旧姓のままでもいいのではないかとアドバイスしたそうです。自分自身の結婚はとても考えられないと言っていましたが、他人のことには立派な助言ができるようです。

食欲は朝もなさそうだったので、夕食には娘の好物を買ってきて出しました。それが功を奏したのか、娘は、結構食べていました。風呂にも入ったので、まずまずの出来でしょう。

2024年5月8日水曜日

飛ばしすぎ

娘は、さっそく就職活動を始めていました。単発で、健康診断車についていって、情報の入力作業をするというものでした。時給は低いですが、資格もいらないし、単発なので、すっかりできるつもりでいたようですが、担当者と話をしたら、車がないと無理だと言われ、そんなことは募集広告に書いてなかったと怒っていました。

もう一つ、ハローワークで募集しているオンラインの研修があって、ハローワークに出向いたら、参加するには主治医の許可が必要と言われたそうです。開始は6月からですが、週20時間程度の講座が9月まで続き、医者は多すぎると判断したのでしょう、許可してくれなかったそうです。これも、許可が必要とは募集広告に書いてなかったと、ひどく憤慨していました。

障害者枠から外れれば、医者の許可もいらなくなって応募できるようになるとのことでしたが、娘のハローワークの担当者からも、無理だと思われたのでしょう、(障害者としての登録をやめてその研修に参加するのは)やめた方がいいと言われたそうです。

その二つのつまずきで、娘は不調が極まり、早く家にもどってきたと言いました。何か行動すれば、いろんな反応が返ってきて、それが全部心地よいわけもないのですが、それに耐えられる力は、まだなかったようです。

入院していた病院のことで、娘から今日聞いたのは、ちょうど入院の日に生理がはじまって強い痛みがあったが、それを看護師に言っても話を聞くだけだったということでした。看護師は、医者が痛み止めを処方してくれないと出せないとの一点張りだったそうです。じゃあ処方箋を出してくれよと言いたいですが、どうなっていたのでしょうか。生理痛のせいで食欲もないと伝えたそうですが、やはり聞くだけ。

数日間、痛みをこらえて寝ていたので、そのときの痛みを引きずって今日も腹痛があるそうです。食欲はほとんどなくて、ちょっとだけスープを飲んで夕食は終わりました。

2024年5月7日火曜日

退院

昨日の話では、昼頃までに病院から連絡があるということでしたが、午前中の早い時間に電話がかかってきました。看護師でしたが、院長から退院が認められたので、手続きと娘の荷物を取りに来てくれと言われました。医者の診察はなくなり、娘も来る必要はないとのことでした。

結局、入院中、最初の説明の場面以外では、医者が登場することは一切ありませんでした。退院に際しては、医者が診察した上で最終的な決定をするという手順ではないのかと思っていましたが、そうではなかったようです。あっさり退院が決まりました。

治療らしい治療としては、点滴を受けただけ。娘は血管が出にくい質でもあるのですが、看護師の腕もよくなかったのでしょう、腕に何カ所も針の跡が残っていました。最初の頃は、他の人が立てる物音など、気になることを訴えていたそうですが、ただ聞くだけで何もしてくれないので、言わなくなったと言っていました。

病棟の出口のあたりをうろつくたくさんの患者も、何か訴えたいのだろうと思いますが、まったく相手にしてもらえないので、あきらめていたのでしょう。

とりあえず、薬は2週間分出してもらいました。また、今後はクリニックで治療を続けるようにとの指示がありました。また、再入院も可能であるという説明もありました。

ささいなことですが、朝から電話したとき、娘が、貴重品を入れるロッカーの鍵を持っているので返してほしいと言われました。ところが、娘に聞くと、部屋を出るときに貴重品は身に付けていたので、鍵はそこにつけたままだったというのです。結局、荷物を取りに病棟に行ったときに、鍵はあったと知らされました。娘も私も、何かトラブルの種が生じる(た)のではないかと、ひやひやして半日を過ごしていました。

病棟には、娘と私の二人でいきました。ところが、病棟が近づくと、娘に吐き気が生じて、病棟に上がるエレベーターには私一人で乗りました。

夕食後には、娘は少し熱っぽいと訴えてきました。一瞬上がったものの、すぐに平熱に下がりました。それでも用心して風呂はやめました。

2024年5月6日月曜日

回復の兆し

娘は、今日の昼間はまだ少し疲れた風でしたが、夜になって、確実に元気になってきました。

一つの兆しは、私が今日病院に行く前のことですが、いったんすべて消したと言っていたSNSを、元に戻したということです。一度は断ち切った世界全体との関係を、取り戻そうと思えるようになったのでしょう。

夕食後には、自分で書いて冊子にしていたものを私に渡し、読んで感想をくれと言ってきました。私との和解を象徴するできごとだと思います。私は、実は、国語の教師を生業としていますが、評価をするなら文句なしにA+と思いました。親バカではないつもりです。推敲の足りないところがありましたが、人に読ませる内容があって、文章もしっかりしていました。幼さを感じるところもある娘ですが、一方で、ある部分はちゃんと大人になっていたのだと分かりました。

三つ目は、私が風呂に入っているときのことです。友人と話しながら笑っている声が聞こえてきました。中学校以来の不登校仲間で、ずっと仲良くしている相手でした。最近40代の男性と同棲し始めたところだったのですが、すぐに妊娠して、今はつわりに苦しめられているそうです。近々会って食事をすることになったようです。

こうしたことから、娘の日常が戻ってきたとはっきり感じることができました。

外泊

私は、朝から娘の病院へ行き、しばらく娘と話をしました。娘は、一刻も早く外に出たいと思っていて、それ以外の選択肢はないという感じでした。

入院のときの相談員の人は今日は勤務日ではなかったので、別の人(名札を付けていなかったので看護師かどうかは不明)に事情を話し、娘が退院を望んでいることを伝えました。

その際、娘が任意入院を拒んで、私の同意で強制的にやるなら従うという気持ちだったのが、私に伝わっておらず、私の、事態に対する理解が十分でなかったと言ったら、その人は、つまりお二人は騙されたと思っているんですねと返して来ました。その場では反論しませんでしたが、そういう受け止め方があるということ自体、病院の素性をあからさまにする反応だったと思います。

きっと、今までにも、騙された、帰してくれといったようなやりとりが繰り返しあったのだろうと想像しました。

娘から、部屋の環境についての訴えもたくさんありましたが、私が面会のスペースにいる間にその前を何度も往復する人が複数いましたし、叫び声を上げる人もいて、その場で看護師が押し殺した声で静かにするよう言っているのも分かりました。私がいなければ、もう少し大きな声で制止されたのだろうと思いました。

その後、別室で師長さんと話し、とりあえず外泊という扱いにしておいて、明日担当医と相談してもらったらどうかと言われました。外泊の許可は今日の当直医に取ると言われましたが、姿は見えなかったので、当直の医者がどこにいたのか分かりません。私は、病院にはいなかったのではないかと疑っています。そこにいたなら、話をするのは看護師長ではなく医者だったはずでしょう。外泊許可は割合すみやかに下りました。

入院のときの説明では、娘の担当医は9日にならないと来ないという話でしたが、明日結論が出るのであれば仕方がないだろうと思い、同意しました。この流れで、入院を続けるという結論は出せないでしょう。急に話を持ち出したにもかかわらず、私が病院を訪れてから2時間弱で平和的に解決できたので、よかったです。

騙された、という言葉に近い部分があるとすれば、クリニックの先生の、1~2週間から長くて1か月という話が、病院に来た途端、最低でも1か月と言われたのは、話が違うだろうと強く感じたところです。

話を聞くと、娘は、クリニックの先生には、この病院が、中学生の頃検査入院させられたところの7割(の厳しさ)と言われていて、その場で娘は机に突っ伏したそうなので、すぐにでも退院したいという娘の反応は、やっぱりそうかということになるのではないでしょうか。私は、その先生には、結論だけ話しますと言われて、娘の入院への受け止めは、その時点でも分かっていませんでした。

しかし、分かっていたとしても、そのときは私も入院に同意したと思います。分かっていながら失敗してしまうことは、いくつになってもなくならないものです。

帰りには、私の妹たちのマンションを訪ね、ひとしきり他愛のないおしゃべりをしてから昼食をご馳走になりました。最後に、明日、私が仕事に出てから夕方病院に連れて行くまでの間、娘の面倒を見てもらうことにしました。

そのまま家に帰る気になれず、郊外のカフェでしばらく時間を潰し、買い物をして自宅にもどりました。まだ、私自身が、自宅で必ずしもリラックスできていませんが、時間の問題だろうと思っています。

2024年5月4日土曜日

もう再開?

先日のできごとがあってから、時間の経つのが早いような遅いような。日付を見たら、休止と書いたのはつい昨日のことでしたが、あれからもう何日も時間が経ったような気がしています。

昨日のブログに対してコメントしてくださった人がいて、返事を書いていたら、少し元気になりました。休止と書いたときは、このままでは私自身の身が持たないと感じていたのですが、今はそんな風に思わなくなりました。また、病院のことでどうしても記録しておきたいことがあって、再開することにしました。

深夜に行った、別の市の郊外にある公立の精神医療センターから出た頃には、もうすっかり明るくなっていました。かかりつけのクリニックに行くのにはまだ時間がたっぷりあって、帰り道の途中でマックによりました。最近、24時間営業のレストランはなくなってしまっていて、他に選択肢がなかったからです。

クリニックの受付時間になってすぐ、電話を入れましたが、最初は、予約がいっぱいで診察できないと言われました。その前日、娘は、自分で電話をして事情を話していたのですが、その日は先生が不在だったので、まだ伝わっていないとのことでした。それにしても、事情が分かっていて診られないという返事はないだろうと思いました。何とか診てほしいとしつこく粘り、先生と相談してから折り返し連絡するとの返事をもらいました。

その後、娘が診察を受け、私が呼ばれたときには、入院という判断が下りていました。最低でも1~2週間、長ければ1か月と言われました。病院は、そのクリニックと関係のある大きなところで、無理が利くのはこことのことでした。

その足でその病院へ行ったら、最初の説明で、院長先生から、最低でも1か月入院。それから退院できそうだとなると、関係者による会議を開き、OKとなったらまず試験的に退院してみて、本格的な退院はそれからになる。簡単には退院できないと言われました。

娘は個室が希望でしたが、院長先生から、あなたより重い人がたくさんいると言われていました。4人部屋で2人入っているところがあり、3人になるとのことでしたが、その日のうちに4人目が入ってきて、娘は、最初から決まっていたにちがいないと受けとっていました。

担当医の最初の診察は9日だとも言われました。クリニックの先生からは、最初は電話などもあまりしない方がいいと言われており、私も、電話したり会ったりすれば、娘が家に帰りたくなると思ったので、最初1週間くらいは面会しないということにしてもらいました。

その後、病棟まで行ったとき、あ、これが娘の言っていた精神科の病棟の雰囲気なのだと思いました。まず、狭いエレベーターで2階に上がり、そこから鍵のあるドアを通って入るのですが、エレベーター前のスペースは一坪あるかないかという狭さでした。

コロナ対策を継続しているとかで、面会はその狭いスペースで15分間と言われました。入口は閉塞感を感じさせないように全面ガラスでしたが、そのおかげで病棟の中にいる人の姿もよく見えました。うつろな表情の人が歩き回っていて、中の人には申し訳ないですが、私もここには入りたくないと思いました。

そこで娘と別れ、私は、別室で、相談員の人に経緯を話し、入院の同意書にサインしました。保証人の欄もありましたが、私が書いて、同じ印を全部押してもかまわないと言われました。これまでの私の経験では、そんないい加減な病院はありませんでしたが、言われるままに、私の名前と妹の名前を書き、印を押しました。

相談員の人によれば、娘は、「任意」という言葉に引っかかっていたが、一応入院に同意してもらったという説明でした。ところが、その後、娘とメッセージのやり取りをしていたら、娘は同意しておらず、私と病院が相談して強制的に入院させられたと受け取っていました。

その日の夕方、私が着替えなどを持っていったとき、入口の横にあるナースステーションには一人しか人がおらず、その人は服薬の準備をしていて手が空かなかったので、私はそのまましばらく待たされました。その人は私の存在に気づいていましたが、5分ほど放っておかれました。その後来てくれて、荷物を預かってくれました。

昨日から今日にかけて、娘からいろいろ連絡のメッセージが来ましたが、とにかく早く出たいという内容がたくさん書いてありました。

大きな理由の一つが、娘が以前、母親と暮らしていた頃、てんかんの治療を受けていたのですが(てんかんの発作は出たことがありませんでしたが、てんかんの治療薬を飲まされていました)、その検査と称して強制的に精神科に入院させられたことがトラウマになっており、それを思い出してしまうこと。もう一つが、他人の立てる音や他人の視線がとても気になるということでした。

最初は、娘が危険な行為を繰り返さないためには、入院というのもやむを得ない措置だと思っていましたが、その自分の判断にいささか疑問を感じ始めています。どうやったら娘を早く退院させられるのか、考え中。場合によっては、強引に連れ帰るということもあり得ると思っています。

2024年5月3日金曜日

ブログの休止

このブログは、自分のための覚え書きとして書いてきました。一方、読者は少なかったですが、ごく少数の人が継続的に読んでくれていました。

読み手は少ないとはいえ、公開ですので、すべてのことを書いたわけではありません。際どい部分は抑制的でした。

今回のことについては、詳細を書くべきではないだろうと判断しました。これが書けなければ、続ける意味がないと思うので、ブログは休止することにしました。もう、再開しないかもしれません。

ひとつだけ記しておくと、病院は、どうみても居心地の良さそうなところではありませんし、人手不足で十分なケアが期待できるかどうかも分かりません。ことの経緯から、他の選択肢がなかったので、仕方がありません。

娘の回復を願っていますが、時間がかかるでしょう。

ここまで読んできた方々には、感謝しています。少数でも読んでくれる人がいることは、書き続ける大きな動機になりました。皆様、御身御大切に。


オーバードーズ、入院

娘は、一昨日、薬を多量に飲みました。

その後、昨日朝まで病院を2つはしご。朝からかかりつけ医に行き、当面入院ということになり、その足で病院へ行きました。